Yahoo!出身エンジニアとして20代でPRUMを設立。2022年末には50名を超える社員を抱えるほど急成長している株式会社PRUMの代表、岩本稜平は一体どんな人物なのか?!
幼少期から現在に至るまでをお話いただいたインタビュー企画。まずは幼少期編からお届けします。
田舎で生まれ育つも不登校になりフリースクールへ

生い立ちからお伺いしたいと思います。“岩本稜平”の幼少期について教えてください。
まず、父親が転勤族だったので生まれは愛媛県です。
東京出身の父親と岐阜出身の母親の元、兄姉妹の4人兄弟で4歳まで愛媛で育ち、その後岡山へ引っ越して東京に来たのは小学校4年生、9歳の時です。
その後、親は引き続き転勤でしたが、一度東京に住んだら東京がいいじゃないですか(笑) なので父親だけ単身赴任という環境でした。
正直、幼稚園までの記憶はほぼないんですけど、小学校からわりと波乱万丈というか……実は不登校だったんですよ。父の転勤の都合で小学校は5回転校して、3年生の途中からですね、特にいじめや問題があった訳ではなく、ただ行きたくなくてズル休みばっかりしていました。
母親も、行きたくないならいいよというタイプの母親だったので、不登校の子が行くフリースクールに連れていってもらい、ずっと遊んでいました。
自然の中でのびのびと過ごすも、やっぱり学校には行きたくない……
岡山の小学校低学年時代は僕の中ではとても良い経験として残っています。かなり山奥にあったので、ガチのたき火をしたり、柿を取ってつるして干し柿にしたり。
あとは都会の小学生って牛乳パックで紙を作ったりするじゃないですか。でも僕がいたところは木を切ってゆでて取った繊維から和紙を作るような本格的な自然体験でした。
その影響で今でも自然が好きなんですよね。岡山時代はずっとそんな感じで元気に遊んでて、そこから東京の普通の小学校に転校したので、また行きたくないなって思い始めたんですよ。
一番の理由は、宿題をやるのがマジで嫌だったんですね。それで宿題をやらずに学校へ行くのは怒られるから嫌で逃げ続けてきたんです。
そして母親がクリスチャンなので、中学校まで毎週日曜日は教会に行っていました。その関係もあって、小5の時にチャーチスクールっていうインターナショナルスクール兼不登校の子がいく学校みたいなところにまた通い始めて楽しい一年間を過ごしました。
でも中学はさすがに公立の中学に行こうと、そのために公立の小学校を出た方がいいので、小6からまた違う公立の小学校に通って卒業しました。そこから一般的な人生を歩んできたんですけど、振り返ってもこれだけ環境が変わった小学校時代が波乱万丈だったと感じますね。
中学生、厳しいバスケ部に入り鍛えられる
宿題をやりたくなかったというのは、勉強が嫌いだったのでしょうか?
勉強はマジで嫌いでした。やばいくらい嫌いでしたね。今となっては信じられないくらいですが、落ち着いていられないというかやる意味がわからない感じでした。恐らくそれだけが原因ではないと思いますが……。
目まぐるしく環境が変わる小学校時代だったので、新しい環境でも溶け込める能力はその時に培われたと思います。
そして中学校は地元の公立中学校に通いました。
エピソード的には、ただただバスケ部でしかないです。本当に厳しい部活で、辛すぎてどの世代も10人以上いたのに最終的に3人くらいまで減るんですよ。地獄のようでした。
それに入学当時の僕は運動が全くできなかったんです。50メートル走や体力測定も女子のトップ層より断然下でした。ただ、その地獄のバスケ部をやり切って、1年後には体力もついて運動ができるようになりました。本当にキツイ部活だったので3年間やりきったのは、自分で自分を褒めてあげたいです。
運動が苦手だった岩本社長がキツイ部活を乗り切れたのは、バスケが楽しかったからですか?
これは結構ネガティブな理由で、やめる勇気がなかったんですね。今振り返るとめちゃめちゃそうですね。きつすぎてもう無理だなと思って学校に1週間行かなくなった時もありました。
でも結局、反抗する勇気もなかったくらいなので、とりあえずやり切りました。1個反省があるとすれば、上手になろうと1ミリも思ってなかったんですよね。今日をどうやったら生き延びようかしか考えてなくて、どうやったらコーチに怒られないかと。だから体力だけはバカみたいに付いたんですけど、バスケはそんなに上達しなかったです。
授業も聞かず、テストはもちろん一夜漬け
それが中学校での全てで、勉強はほぼしなかったです。普段の授業もほぼ寝てるかしゃべるかみたいな感じでしたね。
通知表も、ボロボロだったのでしょうか?
テストは頑張らないとという意識はあって、普段は宿題もやらず授業も寝ていましたが、一夜漬けで平均の3は取れていました。
今もそうですけど、昔から本当に差し迫られると、 そこだけはちょっとだけ頑張れるというのはありました。
そんな感じで子供の頃は目まぐるしく環境が変わったため、人生の中でも起伏が激しい時期でした。
今の岩本社長からは想像ができないまさかの幼少期でした。ここからどう「今の岩本稜平」になっていくのか。続きも気になるところですね。
岩本稜平物語【学生時代編】に続く……