前回の記事ではPRUM代表岩本の幼少期を取り上げました。
現在の姿からは想像のつかない生い立ちで驚いた方も多いと思います。今回はついに高校進学を迎えた岩本稜平。ここまで勉強はほとんどしていないようですが、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか?!
母親のアドバイスで救われた高校進学

高校進学の際にも一つ人生の転機がありました。
中学三年で進路を考える時、「校則がゆるい・学費もかからない」というだけの理由でとある都立高校に行きたいって言ったんです。母親は基本的になんでも認めてくれる人なのですが、それだけは反対しました。
「あんた周りに流されやすいから、馬鹿でもいいから大学進学を前提とした私立高校に行きなさい」と。
なので当時の僕でも入れる私立の高校に進学しました。
一方で、中学の時に僕より頭の良かった男の子がいて、僕が行きたかった都立高校に入ったんですよ。頭が良かったのに、そこで悪い友達とつるんでバイクを乗りまわすようになりました。そして高校卒業と同時に誰でもできるような仕事について、今もずっとその仕事をしています。
それが悪いとは言わないですが、自分もそうなっていた可能性があったな……って思うんですよね。
その時のお母様の言葉がなかったら……。ということですね。
本当に大事なことや大きな決断には真剣に向き合ってくれるので、それはすごく感謝していますね。でも、高校生活は全然楽しくなかったんですよ。(笑)
気の合う友達もいなくて、バスケ部も中学と違って力を入れていなかったので、バイトをしたり本当にダラダラしていたので思い出どころかほぼ記憶がないですね。
一応バスケ部には3年間在籍はしていましたが、1人だけ頑張っていた感じで青春もなかったです。
初めて自分の可能性を感じた出来事
ただ、そのあたりでちょっとだけ自信がついた出来事があったんです。
高校三年生まで全く彼女もいなかったのですが、たまたまできた彼女に英語のテストの前日にフラれたんです。 僕はそもそも一夜漬けタイプじゃないですか。もうヤバくて。(笑)
テスト結果が5点になっちゃいました。これでは3学期も追試が濃厚です。本来3学期はみんな遊んだり、免許を取ったりする時期なのにそれはまずいと思って2学期の期末、苦手な英語をめちゃめちゃ勉強しまくって、90点台を取ったんです。
「自分、やればできる子なんだ」って、そこでひとつ感じたんですね。(笑) 先生にもお前やればできるじゃないかって初めて言われました。
偏差値37の大学へ進学し、3年生でエンジンがかかり始める
大学進学は、内申も高くないし受験も絶対に嫌だったので、指定校推薦で行くと決めていました。結果、自分のレベルで入れて家から1時間40分かかる偏差値37の千葉にある大学に通うことになりました。
大学生活も前半は本当につまらなかったんですよ。思い描くキャンパスライフではなく、工業大学なのでサークルとかも全くなかったんですよね。
その時僕が感じたのは、偏差値が低めの学校だとみんな行動力がないのでは??ということです。 そのせいもあって仲のいい友達はいたのに、とにかくつまらなかったですね。
そこから大学3年になって初めてゼミができて、学科を越えた交流も始まり、新しい友達ができて仲良くなりました。少しずつ自分の意識も変わり始めてというか、“自分で企画すればいいんだな”って気づいたんですね。
全部自分で企画した旅行とか、バーベキュー、スポーツ大会など死ぬほどたくさん企画したら全員参加するんですよ。
今までつまらないのを他人のせいにしていたけど、発起人がいなかっただけで引っ張る人がいればみんなついてくるんだなって気づいたんです。
リーダーシップ的なものはそこで培われたなと思います。自分で“事”を起こせばこんなに楽しくなるんだと。
楽しくなってくると、みんなこれまでの遅れを取り戻すため、たくさん遊ぶぞ!という流れになりました。なのでここでも勉強は本当に一ミリもせずにずっとカラオケばかり行ってましたね。(笑)
親友がきっかけで初めて夢を持つ
岩本さんの0→1好きは、その時の経験からでしょうか?
実は大学時代にはもう一つ転機があります。今でも一緒にビジネスをしている地元の友達の影響です。
中学校の同級生で今でも1番の親友ですが、頭が良くて中学当時から公認会計士を目指していたんです。彼の父親もエリート官僚でした。
ある日、いつものように遊んでいる時「なんでそんなに会計士になりたいの?」みたいな話をしたんですよね。
そしたら「俺は国際公認会計士の資格を取って、年収5000万プレイヤーになるんだ!」と言ったんですよね。そんな人に初めて会ったので、「うわ!かっけえ!」って思ったんです。シンプルにいいなと思って、俺もやるわみたいなそんなテンションになりました。(笑)
でも実際、会計士は難しいんですよ。どう調べても難しいので、税理士ならいけるかもしれないと 「じゃあ、俺は税理士目指すわ」と、20歳ぐらいの時に初めて人生で夢を持ったんですよ。
単身赴任中の父親に電話して俺、税理士になるって伝えたら「おおいいじゃん、がんばれよ」と言われ、簿記の勉強を始めたりしました。
大学3年の12月は就活が始まるタイミングで、みんなその前の9月くらいからインターンシップとかに行き出すんですよね。だけど「俺は税理士になるから、就活はしない!」って言ってました。(笑)
今思うと就活から逃げてただけで、簡単に税理士になれないことはわかっていたんですけどね。そこでまた家族会議が行われて、両親から「税理士っていうのは数字と向き合う仕事だけど、お前は人としゃべるのが好きだから向いてないと思うぞ」って単刀直入に言われました。
新卒から定年までずっと同じ会社に勤めていたコテコテのサラリーマンの父親に「会社員はつまらないように思うかもしれないけど、それはそれで楽しいぞ」と言われて妙に納得したんですよ。
「確かに。じゃあ就活するわ!」とリクナビを開いて1番上にあったITの会社に応募したんです。そこからまた人生がガラッと変わってきたんですね。
次回、岩本稜平物語【社会人編】。ついに社会人となり、エンジニアという仕事に出会います。ここからどのようにして今の「経営者 岩本稜平」になったのか。乞うご期待!
岩本稜平物語【社会人編】に続く……