就活中のインターンシップでビジネスに興味を持つ

インターンシップで「5日間でアプリの企画をして、社長にプレゼンをする」というお題がありました。
小人数でチームになってアプリの企画をして、プレゼン資料を作成してプレゼンする。
僕は偏差値37の大学でしたが、他のメンバーは東京理科大学や慶応、早稲田とすごくキラキラしていたんです。
その人たちと5日間真剣にアプリの企画をしたんですね。当時は20年近く生きてきて、 5日間も誰かと真剣に何かを話すなんて初めてだったんですよ。それがめっちゃ楽しかったんです。
本当に楽しくて、しかも僕らが優勝できたんです。これはやばい、ITってすごい、チームで何かに向かって真剣に作り上げてくのはこんなに楽しいんだなって思いました。
それがきっかけでITベンチャーのエンジニアに絞って就活をしてすぐに決まった会社がシアトルコンサルティングというSESの会社でした。
岩本稜平、意識高い系になる
その頃からいわゆる意識高い系になって、本を読みまくったんですよ。
自己啓発本や、まだ仕事もしたことないのに起業の本やビジネス書を30冊ほど読みました。読んでいると成功した気になるので、「なるほど、こうやったらなれるんだ。へぇ楽勝じゃん」と思っていましたね。(笑)
その時に、自分の中で成功するということが当たり前になったんですよね、成功しない人生はないというか、普通でいることがありえないというマインドになって、その考えは今現在も変わっていません。
社会人になって、一瞬で周りの全員を追い抜いて出世するのか起業するのかわからないけど、とにかく何かしら成功するんだ!という思いがずっとありました。
ただ、その前の大学時代に、1回起業するかと友達と計画を立てました。ちまちまバイトをするのではなく、一緒に何かを作ってお金を稼いで、そこから社会人になろうと。
研究室に泊まり込んで、 マッチングサイトのようなものを考えたり、ウェブサイトを作って儲けようみたいなことをやりました。結局サイト自体を作りきれずに終わるオチでしたが、そういった企画はやってましたね。
当時プログラミング技術は全然なかったわけですよね?
全体図もわかっていないまま、とりあえず2人でアプリの企画だけをずっと考えていました。
技術はまったくなかったですし、ウェブサイトをどうやって作るかすらわからずに終わりました。勢いはあったんですけど、バカはバカだったんです。(笑) 今ならちょっと調べたらわかるじゃないですか。
結構4、5カ月ぐらいずっと一緒に話し合ってきたんですけど、形にならずにやめたって感じですね。
あとは地元の友達と、日本に来る観光客に向けた個別のガイドツアービジネスをやろうと、Facebookグループを作ってキレイな日本の写真を投稿しまくって、ファンを集めるということをやりました。結局また継続力とビジネス力が皆無過ぎて終わるんですけど、そういうのを2、3個くらい考えたり、実際に行動もしていました。
衝撃の社会人スタート
社会人になって、まず最初に衝撃を受けた出来事があったんです。
新卒合宿という研修で入社式の翌日から3泊4日、いろんなIT系ベンチャー企業の新卒が50人ほど集められて4人1組のチームを組まされて、競わされるんです。
厳しい教官が1人いて、かなり厳しい研修だったんですね。その時僕はグループのリーダーだったので、マジで勝ちに行こうと厳しく取り組んでいたんです。
チーム内の女の子にも厳しくして、僕が1番入り込んだんです。全研修生の中で、最初にバチバチに入り込みました。これを絶対にやり遂げるんだと。
内容は「おはようございます」を一生懸命言うよくわからない研修もあったり、50キロウォークラリーがあったりと、途中くらいからもうみんな訳わからなくなって泣くんですよね。
僕は一生懸命勝ちたいと思ってるのに、チームメンバーにはヘラヘラしてる女の子がいて、正直ムカつくわけですよ。
そこで教官が「この違いは分かるか」みたいなことを言って、僕が思っている感情を言語化してくれて、ボロボロ泣いたんです。
すごい染まってるなっていう俯瞰した感じもあったんですけど、その教官が最後に行った言葉が今でも記憶に残っているんです。
「声を出すとか歩くとか、そんなことでも一生懸命取り組めば感情が動くんだ。できなかったら悔しいし、できたら嬉しい。だから普段の仕事も感情が動くほど一生懸命やるんだ。」
結局、その研修の目的はそれだったんですね。僕は1番に体感しているので、すごく納得してこれから始まる仕事の全部を一生懸命感情が動くほどやろうと思ったんですね。
他の参加者は、「根性を鍛えるだけでロクな研修じゃない」と言っていたんですけど、僕はすごくいい研修だったなって思うことができたんですね。
エンジニア人生のはじまり
そこからエンジニア人生が始まりますが、エンジニアとしての素質は皆無だったんですよ。やっぱり勉強を1ミリもしてこなかったので、いろんなことの意味がわからないんですよね。タイピングだけは早かったんですけど、基本的にダメだったんです。
最初に入ったのはSESでした。そこでは先輩と抱き合わせで開発現場に入ったのに、先輩が早く切られちゃって僕は誰にも面倒を見てもらえなくなったんです。新人で入ってるのでなにもわからずとにかくやばい状況です。
ここで僕が今まで読んできたビジネス本の真価が発揮されたというか、主体性を持ってやろうと、とにかく「何かやることないですか?」といろんな人に聞きまくって、なんとか仕事をもらってそれをこなす。誰よりも遅くまで、やることがなくても残ってなにかをやる。それを地道に続けました。
結果、頑張り屋さんだねと評価をもらうことができて、3カ月ほど経った頃から少しずつ普通のエンジニアとしての仕事も振ってもらえるようになりました。
一応自分で考えて頑張って、職場で良い関係を保ちながら2年間を過ごした頃、やっぱり自分はエンジニアじゃないなって思ったんですよ。自分には向いてないなと思い始めました。
ただ会社は好きだったので、シアトルコンサルティングの社内に関わりたい思いがありました。なかなか機会がなかったところに、当時新卒のリーダーだけが集まって、社内で新規事業を作ろうぜというプロジェクトが動きだすところでしたが、僕を含めた全員のレベルが低すぎて、何も立ち上がらなかったんですよ。
ダメだ。ここでは何も成長できないと思って、そこで辞める決心をしたんですよね。
ビジネスマンとしてさらなる高みを目指し転職
僕より影響力があって技術力が高い人もたくさんいたし、全員ビジネス的には上でしたが、負ける気がしなかったんです。会話をしていても、僕の方が1個上を行ってるなと感じていました。
今思っても、おそらく間違っていなかったと思います。今この立場になって確信に変わっています。
尊敬できる人がいないとダメじゃないですか。実際、そこでは尊敬できる人がいなかったので転職しようと思いました。それまで客先に常駐してお客さんのシステムを作っていたので、自社のサービスを作ってみたいという思いから、自社サービスを持ってる会社に行こうと。
当時、Yahoo!、楽天などを受けた中でYahoo!に受かったので入社することになりました。
プログラミング能力は、1社目の現場で身につけたのでしょうか?
内定が出た時に、一応この本を読んできてね。みたいなのがあったので、Javaの基礎の基礎は一応自分で勉強しました。そこから入社して2カ月ぐらいでできるようになってきた感じですね。
ただ、現場が既存サービスの追加のみの案件だったので、すでにあるソースコードをコピーしながら進める感じでした。だから真っさらな状態で1から実装してって言われても何もできないぐらいのスキルでしたね。
徐々に今の岩本社長が形成されてきたようです。次回はビジネスマンとして一旗揚げるためにどう殻を破っていったのか。Yahoo!時代のエピソードにも迫ります!
岩本稜平物語【大企業・独立編】に続く……