自分の今後を真剣に考える

Yahoo!に入社したあと、自分の人生を考えようと、どうしたらこの先やっていけるのかを真剣に考え始めたんですね。紙に書き出して、自分は何をやりたいんだろうかと考えた時に、特にやりたいことはなかったんですよ。
思いつくのは、親にめちゃめちゃ感謝しているので、なにか親孝行をしたいというのが一番でした。
良いところに住んでほしいとか、仕送りをしたいとかですね。もちろん自分に関しても考えていたのですが「良い家に住んで海外旅行に行きたい」ぐらいしか書き出せませんでした。何に向かって頑張ったら良いかと考えてなんとか決めたのが、「一旦お金持ちになろう」だったんです。
お金を稼ぐにはとにかくたくさん仕事をしなきゃいけないから、働いているうちにやりたいことが見つかるだろうと思って手段は問わず、稼げるビジネスマンになるという目標を立てました。
僕は父親と年齢が離れていて今71歳なんです。僕が40歳になってから仕送りをしても遅いから、30歳までに年収3000万の男になる!と、途方もない目標を立て、それに向かってやっていこうとそこで一応決まったんですね。
紙にデッカく書いて貼りました。
でも最初はどうしたら良いかわからないじゃないですか。当時は年収300万円くらいだったので、どうしたら残りの2700万円を5年で上げるか意味がわからなかったです。(笑)
同期入社の中に元MicrosoftでYahoo!に入社した方がいて、恐らく一番年収が高かったんですね。その人に、30歳までに年収3000万の目標を立てたけど、どうしていいかわからないから教えてほしいっていう話をしました。
結果、「じゃあYahoo!をやめるしかないね」という話をされました。
でも辞めるにしてもとりあえずYahoo!という巨大組織にいることで得られること、5000人の正社員がいてグループ全体だと1万人、その中で1000人くらいはめちゃめちゃ優秀だと思う。そこからさらに2割の200人ぐらいはどこからでもヘッドハンティングされるぐらいのバケモノたちが揃ってるから、そういう人たちと話しまくれ!話しまくって同じ目線で会話できるようになった方が良いと言われました。
そして次の日から部長以上の人たちにDMを送りまくったんです。「4月入社の岩本です。ちょっとお話させてくれませんか」と。
当時はやるしかなかったので、とにかく行動ですね。結果いろんな話を聞くことができました。やはりYahoo!の中で部長や本部長になるってとてつもないことじゃないですか。普通に頑張るだけではダメなはずなので「どうやったんですか?なぜなれたと思いますか?」っていう質問をみんなにしたんですよ。そこでかなり具体的なアドバイスというか、 俺はこうやったんだぜみたいなのが何個かあったんです。
名前を売る、恥をかきながらも大企業でできる事
2、3個くらい実践したアドバイスがあって、その一つがまず、「名を売れ」だったんです。
どこの会社もリーダーがそのメンバーの評価をするという話があるんですけど、結局その評価を吸い上げて、部長以上の人でみんなの給料を決めてるんですよね。
どうやって名を売るかというと、 すごく重要なMTGで絶対に手を挙げろと、とんちんかんなことを言ってもいいから、とにかく手を挙げろって言われて、赤っ恥もいっぱいかいたんですけどとにかく発言して岩本って名前を売ったんです。
もう1つは出世作を作るんだと、上に上がってる人は必ず何か評価されてる案件があるはずだと。俺の場合はこういう案件をやってそれを成功させたから今この部署にいると。
今も案件はいっぱいあるけど、これが重要だと思う事に手を上げて絶対にやらせてもらえ。と。
そこから結構大きい案件が来たんですよ。その時の僕は何も分からなかったので、絶対にできるわけがないんですけど、やりますって手を挙げました。
半年以上かかる大きな案件で、他部署とも連携が必要な中、分からないなりにもいろんな人に聞きまくりながら、連絡が来たらすぐ返したりとにかく動いていたら、次第にあの案件を回したのは岩本だってなったんですよ。
同時に少しずつ自分でもできるようになってきて、無事その案件をやり切ったんです。
それがきっかけで入社してわずか1年半で年収が250万くらい上がったんです。岩本は逃しちゃダメだっていう評価になったと思うんですね。
あとは、名前を売るために1on1を上司全員とやっていたので、 上の人たちがみんな「岩本知ってるわ、ガツガツしたやつでしょ?」ってなったんですね。やってきたことが結果として評価に繋がったんです。
たくさん恥もかいた分、成功体験も数多く経験したので、今思ってもすごくいい会社だったと思いますね。
ついに独立。個人事業主として動き出す
Yahoo!での2年間は全力だったので、良い評価をもらっていたと同時に、常駐先の人たちとも仲良くなっていました。
そこでも1on1のついでに「めっちゃお金を稼がなくちゃいけないんですけど、どうしたらいいですか?」と聞いていたら、「とりあえず個人事業主として、仕事をしてみたらどうか」とアドバイスをもらったんですね。
当時は副業という言葉が全然普及していない時代で、クラウドワークスができ始めたぐらいなんですよ。なるほど、そんな方法があるのかと思って早速クラウドワークスにエンジニアとして登録しました。
そこからは当時、出来もしなかったプログラミング言語の案件を「出来ます!」と受け、始まるまでの1週間ぐらいでバカほど勉強して、なんとかやりきるみたいなことをずっと繰り返していました。
迷惑をかけちゃう可能性もあるので、本当は良くないですが、なんとかやり切ってました。
今PRUMではRailsを使っているんですが、僕は業務でRailsを使ったことはないんですね。副業の方でやらなくてはいけなくなって1から勉強して、 1つのサービス全部を自分で作り切るぐらいまではやりました。あとはandroidアプリの開発とかもやりましたね。
その2年間は本業と副業で1日も休まず朝から晩まで、土日もずっと仕事をしていた事もあって結構稼げたので、エンジニアっていいなと思ったんです。
そもそもYahoo!に入る時にはエンジニアをやめようと思っていたので、企画希望でした。ただ当時は決済金融系のサービスが流行っていて、僕は1社目で経験があったので「ジョブチェンジできるから!企画に行けるから!」と言われてエンジニアで入社したんです。
結局、エンジニアとして副業でも稼げたこともあってエンジニアっていいなと感じるようになり、最後まで続けたんですよ。
本業副業共にうまく行き始めて「なるほど、こうやったらお金って稼げるんだ」って気づいて、30歳で3000万円、いけなくないのかもしれない……。と思いました。
最初は3000万稼ぐことの意味すら分からなかったのに、頑張り続けて模索し続けたらいける方法があったんですよね。それがYahoo!の2年間と副業フリーランス時代の大きな収穫です。
Yahoo!を辞めて世界一周へ
一方でその頃、プライベートでは結婚もしたんです。人生の大きな局面でした。
あとはもともと大学時代に、いつか世界1周に行きたいなと思ってたんですね。でも結婚するとなかなか難しいですよね。Yahoo!でも評価・期待をされていたので、苦渋の選択だったんですけどこのタイミングで「辞めさせてください」って言ったんです。
すごいですよね、そこで、手放す勇気は普通はないですよね。
そうですね。本当に悩みました。休職できないかとか色々相談したんですけど、当時そういった制度はなかったんです。結果、退職することとなり、みんな快く送り出してくれました。
そこから3カ月、英語を本気で勉強して、2018年の3月に世界一周に旅立ちました。
ここまでがPRUMを立ち上げるまでのストーリーです。決して順風満帆ではなく、すべて自らでつかみ取ってきた岩本稜平。その泥臭さが、今の魅力のひとつとなっているのでしょう。